”自殺”という選択肢。
こんばんは!れいれいです。
先日、三浦春馬さんの訃報がありました。
とても驚き信じられない気持ち(今もまだ信じられないです)と同時に、
悲しいやら怖いやらなぜという気持ちやら色々な感情が湧き上がり胸がぎゅーっと締め付けられ苦しい時間を過ごしました。
正直三浦春馬さんのことは特別なファンというわけでもなく強い思い入れがあるとかそういうわけでも無いですが、ドラマであったり舞台であったりと活躍されている姿がもはや生活の一部であるように伝わってくるくらいの存在であったことは間違いないです。
そんな方が突然このような形で人生の終止符をうつということには、計り知れないほどの想いでいっぱいになってしまっていたことと感じています。
ただ、『”自殺”という選択肢』が大きな波紋を拡げてたくさんの方々への悲しい知らせとなったことは事実です。
人生において大きく2つある「生」と「死」についてですが、この世に産まれてきてしまった以上切っては切り離せないものでそれぞれの人生において向き合っていかなくてはならない事です。
生きるとはどういう事で、死ぬのはどういうことか。
それは一人一人違う価値観で考え方も違うのでこういうことだということは誰にも言えないことだと考えます。
物事に取り組む力量、感情の現れ方、出来事の捉え方、過去への執着、今という現実との向き合い方、未来に対する希望や不安…などと挙げたらきりがなく、さらにはその一つ一つの内容がまた無限にある、そんな想いがあちらこちらにある中で自分の在り方を選択していくことは容易では無いです。
しかし生きる意味だとか死ぬことを考え出すと抜け出せない迷路に入ってしまうので、できることならばあまり考えないで今を純粋に過ごしていくことができればいいのかもしれません…
そういう中で自分の人生の幕を閉じることを決めたっていうのはやっぱり本人にしかわからないであろう葛藤や悲しみ、あるいは現実からの解放というどうしようもできないほどの感情の津波が押し寄せてきてしまったからなのではないでしょうか…
生きるということが正義であるとは思っていません。かといって死ぬことが果たして最善だったのかもわかりません。
考え抜いたその答えなのであれば死ぬということは本人にとっての最善策なのかもしれないですが、周りの方にとってはその方がいるからこそ生きている意味があるかもでそうなってくると相互への影響の兼ね合いで成り立っているということもあって……どちらにしても単純なことではないですね。
しかし、今回改めて「死」という結果が悲しい想いになることを感じました。それは関わりのある人たちにとってはもっともっと大きなものでしょう。
僕たちが生きているということはそれだけでもしかしたら誰かの悲しくない意味になっているのかもしれません。
今の世の中は色々な形で自分の想いなどを言葉にし伝えることができます。だからこそ悲しい想いにならないような言葉を使ってみんなが楽しく生きられる社会になることを願っています。
最後まで読んで下さってありがとうございます。
また読みにきていただけると嬉しいです^^
よろしくお願いします。
〜三浦春馬さんのご冥福を心よりお祈りしております。〜